アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1982年5月15日 INDY500 ウイングカーの時代に終焉を告げたゴードン・スマイリーの大クラッシュ
インディ500の長い歴史の中で、派手な事故は数え切れない程演じられてきた。それは多重事故であったり炎上事故であったり、または空を飛ぶものもあった。
その中で、最も衝撃力の大きい、そしてウイングカー時代の終焉を告げるほどの影響をもたらした大事故というものが存在する。
1982年のインディ500プラクティスで発生したゴードン・スマイリー(右の写真)の事故である。
ある者は「航空機が墜落したようだ」と語り、ある者は「爆弾が炸裂したような事故」と例えた。この事故は一瞬のドライバーの操作と、それにともなうマシンの特性、そして300km/hに達するスピードが全て悪い方向に傾いた事故だった。
1982年 INDY500 プラクティス
マーチ82C・コスワースに乗り込んだスマイリーは、人より先にコースへと爆音を響かせ入っていった。
前回、前々回とこの大会ではいいところがなく、できるだけ空いているうちにベストスピードをマークしておきたいという気持ちの表れでもあった。
数周周回しているうち、スマイリーのマシンはバックストレートで自身の最高スピードをマークしてゆく。
そして運命の第3ターン。
進入していったマシンはややインに深く入ったように見えた。
第3ターンをクリアする直前、マーチの後部が少し外側に振られた。それはカメラでもわかるほどの顕著なオーバーステア状態であり、彼はセオリーの対処として少し右へとカウンターを当てる。そのまま直線に入り、すべてがうまくいくはずだった。
しかし、寸分の技術が求められる超高速の世界で、スマイリーのとったカウンターはわずかに大き過ぎたのではないだろうか。カウンターの際マーチのタイヤは外壁の方を向いており、リアがフロントタイヤの向きと同調するや、すさまじい速度でその壁へ向かってつき進む。
わずかに彼はブレーキを踏んだようだが、それは何の意味ももたなかった。
マーチは吸い込まれるように外壁に激突し、凄まじい破壊力によりコクピット部分までがあとかたもなく粉砕した。衝撃でヘルメットは飛び散り、車体は僅かに残る後部を爆発させながらフェンスに沿って細かく飛散、まさにバラバラになりながら第3ターンと第4ターンの中間に散乱した。
救急隊が到着したものの、現場の状況は見て明らかだった。スマイリーはおよそ数100Gの衝撃を受けたとみられ、身体の原型すらとどめていなかった。
かろうじてレーシングスーツを確認する事で、彼を判別できるという、日本でいうところの全身挫滅という状態で、勿論即死だった。享年33歳。
この事故はウイングカー特有の重いステアリングにより回避操作がままならなかった事、車体が一つの「ウイング」と化しているため、咄嗟の挙動に車体が反応するまでのタイムラグがある事が問題となり、また翌年日本で二人のドライバーがそれが原因とみられる事故で死亡した事などから、主催側はこれを重く見て、F1での全面廃止、インディにおいては構造に変化をつけるという改革を起こした。
スマイリーの事故はプラクティス中であったため、その事故の模様が世界に明らかとなるまでにはある程度の時間を要した。しかしジャッキー・スチュワートらレース界の重鎮がこの事故の解明に取り組む姿勢を見せた事で、明らかとなったのである。
余談だが、ジャッキーは1975年インディのトム・スニーバの事故、1978年インディのパトリック・ベダードの事故、1981年インディのダニー・オンガイスの事故、そしてこのスマイリーの事故に立ち会っている。
F1ではピーターソンの事故の際解説席におり、その的確な解説で事故原因を詳しく述べている。
▲急激な方向転換で、ガードレールへと突き進むスマイリーのマーチ。
この画像から、ブレーキがロックしている事がわかる。
▲車体が激突した瞬間。
▲すさまじい破壊力で粉砕した車体。
当時の車体の安全性、ウイングカーの信頼性を根底から覆した衝撃的なアクシデントだった。写真・文章はMOZAさんより提供いただきました
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