アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1964年 F1ドイツGP予選(カレル・ゴダン・ド・ボーフォール伯爵)
1964年8月1日、F1第6戦ドイツGP。
プラクティスにおいて、
ポルシェで疾走中のカレル・ゴダン・ド・ボーフォール伯爵がコースを外れ、コース脇の法面を
転落。
防護ネットを突き破り樹木に激突して逆立ちと
なった状態で停止した。車体にそれ程のダメージは
なかったが、ボーフォール伯爵はマシンから投げ出されており、
病院に運ばれたものの、2日後の8月3日に死亡した。享年30歳。
車自体には大きなダメージは無く、当時はシートベルトを装着していなかったため、マシンから投げ出されたことが死亡に繋がったと思われる。
シートベルト自体は、すでに1959年にボルボによって3点式シートベルトが開発され、
市販車にも装着されはじめていた。
しかし、フォーミュラカーにシートベルトが義務づけられたのは1960年代後半頃で、
それまでは、事故で火災が発生するとシートベルトのために脱出が困難になると考えられ、
「焼け死ぬよりは車外に投げ出された方が安全」という考えから
シートベルトは義務づけられていなかった。
1960年代の死亡事故でも、シートベルトを装着していれば最悪の事態は避けられたのではないかと 思われる事故が多数見受けられるのは、(今思えば)非常に残念なことではある。
事故後の現場の写真。 マシン自体には大きなダメージは見られない。 |
■ ド・ボーフォール伯爵の葬儀の模様
グラハム・ヒル、ベン・ポンら多くのドライバー仲間達が参列、ド・ボーフォール伯爵を見送った。
カレル・ゴダン・ド・ボーフォール伯爵(オランダ)
Carel Godin de Beaufort
本名はヨンクヘイヤー・カレル・ピエター・アントニエ・ハン・ヒューベルト・ゴダン・ド・ボーフォール。
1934年4月10日生 ~ 1964年8月3日没(享年30歳)
F1参戦29回(決勝出走26回)
1958年第3戦オランダGPでF1初参戦。1961年から本格参戦を開始し、最高位は6位(4回)
■ 在りし日の雄姿
F1でも常にポルシェで戦い続けたド・ボーフォールの在りし日の姿
■1962年ルーアンで開催されたF1フランスGPでのド・ボーフォール。
マシンはポルシェ 718でフロントが、オランダのナショナルからーであるオレンジに塗られている。
このレースでは、予選17位からスタートし、6位入賞を果たしている。
■1963年 F1ドイツGP
ニュルブルクリンクでのドイツGP。マシンはポルシェ 718で、全面オレンジのカラーリングが映える。
■1964年 F1ドイツGP(ニュルブルクリンク)
最後のレースとなってしまった、F1ドイツGPでのもの。
予選に向けてピットから出て行くところ。
ニュルブルクリンクの木立ちの中を疾走するボーフォール&ポルシェ
この写真が撮影されてまもなく、上記の事故に遭遇することとなる。
1964年ドイツGPの予選結果では、9:37.900の記録が残り、PPのJ.サーティースに対して+59.500。
最下位ながら予選通過タイムとなっている。
写真および事故の状況は、すべてMOZAさんに提供いただきました。
本ページはMOZAさんにいただいた写真・文を元に、管理人(キャビン85)が構成・加筆しました。
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