アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1970年8月26日 河合稔 TOYOTA7のテスト中に鈴鹿サーキットで事故死
1970年8月26日 鈴鹿サーキット
関係者にとっては通常の性能テスト。そんな雰囲気でこの日の午後に開始されたテストで事故は起きた。
川合の乗るトヨタ7(5リッター800馬力ターボ)はデグナーをほぼ全開で通過した後のヘアピン手前、
通称「110R」で右80m、左65mのブラックマークを残すほどの異常に見舞われる。
川合のマシンはヘアピンに向かえず、直線的にコースアウト、折からの猛暑で茂っていた草地に飛び込んだ。
だがその地点は先日の台風で地盤が緩み、幅3m、深さ2mの沢を作り出しており、
トヨタ7は車体前部からそれに激突。瞬間的にマシンは粉々となって5mの高さに舞い上がり、
60m先のヘアピン立ち上がりイン側コースサイドに腹を上に向け落下した。
川合は四散する車体から放り出され、大地へと叩きつけられた。
川合はすぐさま救急車で病院に搬送されたが、頭蓋底・頚椎骨折、両大腿部複雑骨折で30分後に死亡が確認された。
享年27歳。
事故の模様
右80m、左65mに渡って残された不気味な急ブレーキ 痕。
事故後公開されたマシンの残骸。フロント及びコクピットは完全粉砕され、かろうじて後部とタイヤが確認できるぐらいに破壊されている
■ 参 考
河合稔選手のプロフィールや事故の模様などは、http://www.mmjp.or.jp/60srace/TheYoungSoldiers3.html で紹介されています。
また、レーサーの死(黒井尚志・著 双葉社:発行) でもレポートされています。
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