アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1933年9月10日 モンツァ 「グランプリ・ディ・ミラノ」
OILの引き起こした悲劇
1933年9月10日、モンツァ・サーキットを舞台に開催された 「グランプリ・ディ・ミラノ」で、3人のドライバーがアクシデントとクラッシュでこの世を去った。
2ヒートで開催されたこのレースを悲劇で彩ったのは「OIL」だった。
2ヒート制で開催されたこのレース、1ヒート目のレースを制したのは、ブガッティのチャイコフスキー伯爵だった。
しかし、この1ヒート目に、後の惨事を招く要因となる事件が起こっていた。
フェリーチェ・トロッシの乗るデューセンバーグがオイル・タンクの破損で実に22kgに及ぶ燃料を撒き散らす事態となったのだった。現場に到達した各車が多数スピンを喫する大混乱となった。
1ヒート目終了後、ドライバーたちは主催者側に猛抗議をおこなう。
これに対して、主催者は2ヒート目まで大分時間を割き、「表面的な措置」として砂でオイルの散乱地帯をコーティング処理をおこなった。しかし、点検走行をおこなわないまま、第2ヒートが開始されることとなる。
そして2ヒートスタート。
まずジュゼッペ・カンパーリのアルファロメオP3がコース上のオイルに乗ってスピン、猛烈なスピードで外壁にぶち当たった車体はカンパーリもろとも著しく潰し、カンパーリは即死した。
騒然と化した直後の3台は一斉にフルブレーキング。その中でボルザキーニのマセラティ8Cはカンパーリの残骸を避けきれず衝突、転覆し投げ出された。ボルザキーニは病院に搬送中に死亡する。
▲ アルファの三傑」といわれた |
▲バコーニン・ボルザキーニ |
ルイジ・カステルバルコもスピンし転覆したが、速度が落ちていたため軽い怪我で済んでいる。フェルディナンド・バルビエーリはイン側のグリーンにスピンオフして停止させる事ができたため、かすり傷ひとつ負わなかった。
この事故でレースは一時中断。
そして再開されたレースではまたも悲劇が起こる。
奇しくも、二人が死亡したのと全く同じ地点でチャイコフスキー伯爵のブガッティ54のエンジンが故障、燃料が噴出し、車体熱により気化した燃料が爆発、火の油となってチャイコフスキー伯爵に降り注いだ。
紅蓮の炎と化した車体は先の事故現場で停止、消防隊が消火に当たるも、ドライバーに生き残る術は残っていなかった。
ジュゼッペ・カンパーリ Giuseppe Campari(イタリア) 享年41歳
バコーニン・ボルザキーニ(イタリア) 享年34歳
スタニスラス・チャイコフスキー伯爵(ポーランド) 享年34歳。
(写真・文章はもMOZAさん提供・文章の一部はキャビン85が修正いたしました。)
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