アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1955年 テスト中に事故死を遂げたアルベルト・アスカリ
アルベルト・アスカリ イタリア出身 F1参戦:1950年~1955年 |
1955年モナコGPでの水中ダイブ そして その4日後
1955年5月22日、モナコGPでアスカリはアクシデントに見舞われる。
ランチア D50で参戦、予選2位からスタートしたアスカリだったが、マシンはブレーキ不調の状態で走行を続けていた。
アスカリは海側のシケインで姿勢を乱し、マシンもろとも海に飛び込むダイビング事故を起こす。しかし、幸いにもアスカーリは自力で水面に浮上し軽傷で済んだ。
しかし、そのわずか4日後の5月26日、モンツァでスポーツカーのテストを行なっていた愛弟子のエウジェニオ・キャステロッティから借りたFerrari750Sで試走中、現在のアスカリ・シケインと呼ばれる旧ヴィアローネ・カーブ(当時は緩やかな左コーナー)で原因不明の転覆事故で死亡した。享年36歳。
事故の真相は?
アルベルト・アスカリに起きた事故は今も謎とされている。
しかし、この事故には一つの逸話がある。
アスカリの事故が起こった直後にパルコ・デ・モンツァの従業員と思われる制服の人物が現場で目撃されていて、
その人物は自殺という行為にその後走るったのである。
その自殺の直前に、彼は教会で懺悔をしアスカリの車の前に飛び出したという顛末を述べたという。
しかし自殺は未遂に終わり、その後精神病院で過ごしたという説・・・・
事実として、アスカリの事故現場には急ブレーキ痕があり、ブレーキを踏んだままハンドルを切った形跡が残っている。アスカリが何かを目撃して回避行動を取ったと思われる状況がうかがえるのである。
あくまでもこれは「説」の一つではあるが、事故原因の一つの有力な事案であると思われる。
(右の画像は、アスカリがドライブしていたFerrari750S。コクピット部分に損傷はありませんが、アスカリはこの車から投げ出された事により致命傷を負いました)
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