アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1960年 F1ベルギーGP 暗黒の週末と呼ばれる悪夢のGP
スパ・フランコルシャン オールドコース
1960年F1第5戦ベルギーGP。
予選から大きな事故が続き、決勝でも二人のドライバーが相前後して死亡するという、悲しい記録を残すのが1960年F1ベルギーGP。
舞台となったのは伝統のスパ・フランコルシャンサーキットではあるが、1周14.1kmにもおよぶ、旧コース。
旧コース図の概要は下の通り。
この旧コースはオー・ルージュ手前からスタートし、順に ケメル→レ・コムブ→ハウト・デ・ラ・コート→ バーネンヴィル→マルメディ→マスタストレートとS字→ ホロウェル・ストレートとそれに続く右コーナー→ スタヴェロー→ラ・キャリエール→ブランシモン→ クラブハウス→ラ・ソースを経ての14.1kmのサーキットとなる。
■予選
スターリング・モス Stirling Moss
暗黒の週末として知られる、1960年F1ベルギーGP。
その幕開けとなってしまったのが無冠の帝王として知られるスターリング・モスのクラッシュだった。
ロータスで参戦していたスターリング・モスは、バーネンヴィルに差し掛かる直前左後輪を脱落させ、ガードレールに直角に激突、それを突き破って土手に乗り上げ、さらに跳ね返されてコース上に転覆。モスは両足骨折その他の重傷を負ったが、幸いにも大事には至らなかった。
これが死亡事故に至らなかったのは、ガードレールが二重構造(いわゆるアームコ・バリア)であったため衝撃が吸収された事、さらに衝突の反動で
車体が宙に舞い速度が半減された等言われているが、奇跡的といって良い生還だった。
マイク・テイラー Mike Taylor
モスのクラッシュと前後して、プライベート・ロータスのマイク・テイラー(画像)がステアリング系統の故障からスタヴェローで挙動を乱しクラッシュ、車体は前部を大破させ、さらに車体から放り出されたテイラーは上半身を強く打ち、肋骨・鎖骨の骨折という重傷を負った。
■決勝
そして決勝レースがスタート。決勝は36周で争われる。
予選でクラッシュし重傷を負った、モス、テイラーの二人は当然のことながら出走せず、17台でのスタートとなった。(モスは予選3位のタイムを記録していた)
クリス・ブリストウ(ブライストウ) Chris Bristow
ヨーマン・クレジット・クーパーで参戦し、予選9位からスタートしたクリス・ブリストウは、雨のスパウエザーでのレース中盤過ぎ20周目、フェラーリのウィリー・メレスとの激しい3位争いを展開していたが、バーネンヴィルでコースを外れ、ほぼ直角にアームコ・バリアに激突。さらにそれを突き破って土手に衝突し大破した。バリアが鋭利な凶器と化し、ブリストウは下顎から上を切断されて即死した。享年22歳。
▲1960年F1ベルギーGPを疾走するブリストウ
事故状況は、予選中のモスの事故とあまり違わないものであり、事故現場も、モスの地点から数mと離れていない事故であったが、モスは一命を取り留め、ブリストウは一命を落としてしまった。
僅かな衝突の角度、速度の違いであるのかもしれないが、その差はあまりにも大きいとしか言いようがない。
アラン・ステイシー Alan Stacey
クリス・ブリストウが死亡した事故からわずか5周後にまたも不幸な事故が発生する。
マスタ・ストレートを時速220kmでロータス・クライマックスで単独走行していたアラン・ステイシーの顔面を鳥が
直撃するという不幸な事故。
即死したステイシーを乗せたままロータスは暴走し、コース脇に飛び出して横転、炎上している。享年26歳。
一開催で一名以上の事故死者を出したグランプリ はF1世界選手権では初であり、過去のグランプリレースに 遡ると1906年フランスGP、1933年ピカルディGP、 1933年モンツァGP、1936年ドーヴィルGP、1938年トリポリGP、1948年スイスGPなどが対象となる。
(インディ500及びその他のレースを除く)以後この不名誉な記録は、1994年のサンマリノGPを 以って「34年ぶり」という悲しい更新となった。
スターリング・モス Stirling Moss(イギリス)
無冠の帝王と呼ばれた名レーサー。
F1参戦67回(内1回は決勝不出場で、このレースがあたる)で、優勝16回、ポール
ポジション16回、ファステストラップ19回の記録を残しながら、タイトル獲得は叶わなかった。
この事故の後、2戦を欠場したものの復帰を果たしたモスだったが、1962年の春に非選手権F1レースで再び大クラッシュを演じ、これを契機に引退した。
マイク・テイラー Mike Taylor (イギリス)
前年1959年のイギリスGPでF1初参戦。今回のベルギーGPがデビュー戦以来の2戦目であったが、結果として最後のF1参戦となってしまった。(画像・右)
クリス・ブリストウ(ブライストウ) Chris Bristow (イギリス)
1937/12/02 ~ 1960/6/19(没)享年22歳(画像・左)
F1は1959~1960年に4回出走し、1959年イギリスGPの10位が最高位。この順位は、混走したF2マシンの中でも一番上の順位だった。
アラン・ステイシー Alan Stacey(イギリス)
1933/8/29 ~ 1960/6/19没 享年26歳
1958年イギリスGPでF1デビュー。1960年から本格参戦を開始し、このレースが通算7戦目だった。
走行中のドライバーの顔面を鳥が直撃するという事故は、ステイシーにとっても避けようがない、不幸な事故だった。
(画像・資料はMOZAさん提供。文章は管理人キャビン85が修正を行ったうえ、レイアウト・構成を行いました)
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