アクシデント ~忘れてはいけない記憶~
1977年 南アフリカGP (キャラミ) トム・プライス
1977年F1第3戦アフリカGP。
このレースが何事もなく進行していたら、このレースはニキ・ラウダが前年の大事故以来の優勝を遂げたという快挙におおいに沸いたはずだった。
トム・プライスはシャドウDN8・フォードで出走していた。
事の起こりは22周目、最終コーナー・キンクで起こる。
プライスの同僚であるレンツォ・ゾルジがエンジンのトラブルでもうもうたる煙を上げてコース脇にマシンを停めた。
それはどのレースでも起こりうる光景でドライバーは憮然としながらマシンを降り、少し離れた所でヘルメットを脱ごうとする。
この時、マシン後部から小さい火が上がった事、そしてステアリングを外すのを忘れたためゾルジは慌てたようにマシンへと駆け寄った。コースの反対側からは消火器を持った2名のマーシャルがピットウォールを乗り越えて小走りに駆け寄ってくる。
しかし、現状は最終コーナーを立ち上がってくる数台のマシンが突っ走る危険極まりない瞬間でもあった。
最終コーナー、いわゆるキンク・コーナーは急勾配の坂を登りながら右に切るコーナーで、ホームストレート付近はドライバーにとって死角となる。
おそらく、トム・プライスの視点では坂の頂上に達するまではゾルジの車も見えなかったはず。
事態は一瞬のうちに起こった。
プライスの直前を走っていたハンス・ヨアヒム・シュトゥック(マーチ)はコースを横断するマーシャルがいきなり目に入り、咄嗟に右へステアリングを切ってすんでの所で回避した。しかし、その直後、シュトゥックのマーチのスリップストリームに入らんとしていたプライスは突然現れた光景に成す術もなく、マーシャルの一人、ジャンセン・ヴァン・ビューレンを跳ね飛ばしてしまう。
マーシャルの即死は見て明らかだった。
そして同時に、プライスもビューレンがもっていた消火器が、トム・プライスの頭部を直撃。
コクピットの中に仰向けにめり込む状態でプライスも命を落としていた。
マシンはプライスがアクセルを踏んだままの状態で、ホームストレートを時速270km/hのスピードで暴走し続ける。
内側ガードレールに接触して激しい金切り音を響かせ、ただのマシン故障でそのうち停まるだろうと通常通りに1コーナーへ侵入したリジェのジャック・ラフィーと側面衝突した。
2台はもつれるようにコースを飛び出し、キャッチネットを破壊してその先のフェンスに激突。プライスのマシンは全壊した。巻き込まれたラフィーはブレーキを踏む事が出来たため、大事には至らなかった。
おそらく、プライスは何が起こったのかを全く理解できないまま死亡したと思われる。享年28歳。
1977年は大事故がF1では多くあり、その始めとして起きた予想だにできない惨事だった。
トム・プライス Tom Pryce 本名トーマス・マードウィン・プライス (イギリス) |
|
トム・プライスは、F1には1974~1977年に42回出走。1975年豪雨のオーストリアで3位表彰台を獲得したのが最高位で、またこの年のイギリスGPで唯一のポールポジションも記録している。
世界選手権では優勝は果たせなかったが、1975年の非選手権F1、ブランズハッチで開催された「レース・オブ・チャンピオンズ」ではPP・ファステスト・そして優勝という金字塔を立てている。それも2位のジョン・ワトソンに30秒以上もの差をつける完全勝利だった
|