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DFV(でぃーえふぶい) |
F1史に残る、エンジンの名称。フォード・コスワース製
1967年に登場し、1985年第9戦ドイツGPで消滅するまで、F1GPシーンを支え続けた。V8・3L・NAエンジンで、長年にわたり、F1エンジンのスタンダードとして君臨した。通算155勝22回のワールドチャンピオン獲得という輝かしい成績もさることながら、誰でもが購入できる市販レース用エンジンとして、F1の歴史を作り続けた実績に敬意を表したい。
なお、名称は「ダブル・フォー・バルブ」の略といわれている。 |
D1グランプリ |
全日本プロドリフト選手権
ドリフトの技術を競うモータースポーツ。
ドリフトとは、後輪もしくは4輪を滑らせながら走る走法。ハンドルは曲がっていく方向とは逆の方向に切れることになり、ドライバーは通常の運転の限界を超えた領域でクルマをコントロールすることになる。
単純ながらも迫力のあるシーンが連発見ていても楽しく、近年人気が高まっている。
公式サイト http://www.d1gp.co.jp/ |
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ティフォッシ |
フェラーリの熱狂的なファンのこと |
ティレル Tyrell |
故ケン・ティレルが創設したF1コンストラクター。
1970年途中からジャッキー・スチュワートを擁して参戦を開始すると、翌71年にはいきなりチャンピオンを獲得。70年代は活躍したが、80年代から資金不足もあり、徐々に下降線をたどる。83年アメリカGPでM.アルボレートの優勝が最後の優勝。
90年代は中嶋悟、片山右京、高木虎之介が所属し、日本のファンも多かった。
また、1976年には6輪車を発表。日本でのF1開催時にはマシンに「たいれる」とひらがなのロゴを表記して話題になった。
1998年限りで、BARに買収され消滅した。 |
デグナー(カーブ) |
鈴鹿サーキットの立体交差手前のカーブの名称。1962年の鈴鹿サーキット完成直後におこなわれた第1回全日本選手権ロードレースで、東ドイツ出身の名ライダー、エルンスト・デグナーが転倒したため、この名で呼ばれるようになった。幾度かの改修を経た現在も、この名で親しまれている。 |
エルンスト・デグナー Ernst Degner |
東ドイツ出身のライダーで、1961年には東独の2サイクル・MZを駆ってチャンピオン争いを展開していたが、この年の終盤スウェーデンGP後にに西側に亡命した。
1962年11月には、竣工なった鈴鹿サーキットでの第1回全日本選手権ロードレースの、50ccレースでトップを独走していたが、現在のデグナーーカーブで転倒した。名手デグナーの転倒により、現在の鈴鹿サーキットにもデグナーカーブとして名前を残している。 |
テール・トゥ・ノーズ |
2台のマシンが、前後に距離無く走っている状態。
前のマシンの一番後ろの部分(テール)と、後ろのマシンの一番先(ノーズ)の部分がぶつかりそうな争いをしている様子 |
ベルナール・デュド |
1960年代からルノーのエンジン開発を担当、プロストGPでもテクニカル・ディレクターを務めた経験を持つルノーのF1活動の「顔」。ターボエンジンの開発などで時代をリードし、近年は他チームと一線を画す、独自の哲学でのエンジン設計が目を引いた
2005年4月1日に引退。 |
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ピエール・デュパスキエ Pierre Dupasquier |
デュパ爺の愛称で親しまれた、ミシュランのタイヤ・エンジニア。1962年にミシュランに入社し、一貫してレース畑を歩む。ミシュランのモータースポーツ部門を率いて30年以上も一線で活躍した。1970年代後半にF1に参戦した際には、はじめてラジアルタイヤを導入した。F1のみならず、ラリー、ル・マン、ツーリングカー、2輪などのミシュランの活動を総括していたが、2005年限りで定年退職し現場を去った。
最後の2005年には、F1、ル・マン24、WRC,モトGPと世界の主要モータースポーツのタイトルを独占する好成績を残した。 |
テレメトリー Telemetry |
走行中のマシンの状態をピットで計測、分析するためのシステム。このシステムを使って、エンジンの回転数などをHP上で公開しているチームもある。
このシステムをレースに最初に持ち込んだのはホンダのF1チームといわれている。 |
DTM(ディー・ティー・エム) |
ドイツツーリングカー選手権の略称。
世界最強のツーリングカーレースといわれる。高度なマシンが繰り広げる激しいバトルに加えて、近年はアレジ、フレンツェン、ハッキネンといったF1経験者が多く参戦し、人気を集めている。
関連ページ「DTM] |
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