日本のモータースポーツを報道し続けてきたAUTOSPORTを発行する三栄書房が発行する、モータースポーツアーカイブス。当時の貴重な写真や記事、公式パンフレットの復刻など、これを逃せば手に入らない資料が凝縮されています。
共通した誌面構成として、 1,wake up[一瞬のフォトアルバム] レースを象徴する美しくも印象的な写真 2,close up(今だから語ろう) 当時のキーマンへのインタビュー 3,出走全車総覧 全ての参戦車両の写真付き 4,興奮を再び レース当時のAUTO SPORTに掲載されたレポートの収録 5,リザルト&詳細データ 6,コース図 当時のサーキットの図面 7,奮闘記 当時のAUTO SPORTの記事の再録 8,この一戦を読み解くキーポイント レースやカテゴリーの説明、歴史など 9,世相○○○○年 レースの開催年の国内レース一覧及び、その年の社会的出来事 10,関連グッズ紹介 レースに関連した書籍・雑紙・ミニカー・プラモなど 11,リレーコラム speak up(来た・見た・感じた) レース関係者、ドライバー、メディア関係者など、当時のレースの思い出などを毎回2人登場 12,公式プログラム抜粋 当時の世相や時代などが感じられ、楽しい
このページでは、「日本の名レース100選」の第1号から50号までの内容をご紹介します
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1991年SWC 九州に出現した最新サーキット,オートポリスには、グループCカー達が集結した。流星を誇ったCカーも、NA3500エンジンの採用から、すでに終演の時を迎えようとしていたのだったが・・・ しかし、メルセデスには、ミハエル・シューマッハ、プジョーにジャン・トッド、ジャガーにロス・ブラウンと、後にF1フェラーリの黄金時代を築くキーパーソンが各ワークスで競い有ってたことは興味深い事実。レベルの高さを証明するエピソードかもしれない。
1966年から始まった鈴鹿1000km、その1年後からは富士1000kmも始まる。 トヨタ、日産、マツダら各メーカーからの参加者が集まる中、1973年の富士1000kmは台風に見舞われ雨のコンディションの中、開催された。予選上位を占めた純レーシングカーは本領を発揮できず、日本車のハコ同士の争いが激しく繰り広げられる。優勝は、高橋晴邦・見崎清志のトヨタセリカLBターボが勝ち取った。
1998年ツインリンクもてぎにCARTがやってきた。 日本初のオーバルレースは、ホンダが地元での必勝態勢でのぞんでいた。エンジンはホンダ、メルセデス、フォード、トヨタ、シャシーはレイナード、スイフト、ペンスキー、ローラ、タイヤはファイヤストーンとグッドイヤー。それぞれが激しい争いを振り広げ、白熱の初のもてぎ戦を制したのはA.フェルナンデス(レイナード・フォード/FS)で、地元ホンダはトップ8位までに5台を送り込みながらも、地元での勝利はかなわなかった。
20年近いブランクを経てスカイラインGT-Rがサーキットに復活したのは1990年。舞台は俗にグループAと呼ばれた全日本ツーリングカー選手権(JTC)。ファンは別次元の速さを見せるGT-Rを見たさにサーキットに向かった。 1991年はこのスカイラインGT-Rが選手権を盛り上げる。総合優勝は、カルソニック・スカイライン(星野一義・鈴木利男)とリーボック・スカイライン(長谷見昌弘・A.オロフソン)青と白のGT-R対決にシリーズは盛り上がり、舞台は第5戦オートポリス。 今回のclose up(今だから語ろう)は長谷見昌弘。あれだけファンを引きつけたグループAレースを長谷見昌弘は「おもしろくなかった」と打ち明ける。そのわけとは・・・・・・・
1954年5月2・3日。鈴鹿サーキットで開催された第2回日本GPには、ほとんどすべての国産メーカーが参戦する異常な盛り上がりとなった。 クラス分けされすべてが同じレースを戦うわけでは無いにせよ、クラウン、グロリア、スカイライン、セドリック、フェアレディ、ホンダS600、コンテッサ、コロナ、ベレット、ブルーバード、コルト、コンテッサ、パブリカ、フロンテ、スバル360、キャロルなどの名前が並ぶ。 第2回日本GPでの最も有名なシーンは、式場荘吉のポルシェ・カレラGT-Sを、一瞬とはいえ生沢徹のスカイラインが抜いた瞬間だろう。後のスカイライン神話の始まりともいえるシーンである。 またこのレースに、日本で初めてフォーミュラカーが登場している。 close up(今だから語ろう)は式場荘吉氏。トヨタと契約していた式場が、何故ポルシェで参戦したのか、その理由が明かされている。
1970年7月28日、富士1000kmレースはニッサンが席巻した。 しかしこのレースで最も注目されたのは、レース前におこなわれた TOYOTA7(ターボ)のデモ走行。デモ走行においてコースレコードを樹立し、すでに中止が決まっていた秋の日本GPにかわり、本場アメリカのCan-Amシリーズへの挑戦が予想されていた。(その後、川合稔の事故により中止。この川合の事故に対しても、本書では取り上げられている。) close-up{今だから語ろう}には日産の難波靖治氏が登場。当時のレース背景を証言すると共に、プリンスと日産の合併後の当時の日産社内でのモータースポーツ事情を語っている。
1994年4月17日、鈴鹿での日本GPに続いて、日本で二つめ(史上3番目)のF1GPが開催された。場所は小山県「TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット」 アイルトン・セナは最強のウイリアムズに移籍しチャンピオンをめざし、ベネトンの若き天才ミハエル・シューマッハと対する。 決勝スタートが切られと、セナは1コーナーでミカ・ハッキネンに押し出される形でリタイア。若きミハエルが悠々と勝利を飾った。わずか数100mの走行が、セナの日本ラストランになってしまうとは・・・・ close-up{今だから語ろう}にはコースオーナーであった田中肇氏が登場。当時の開催にこぎ着けるまでの裏話や、観客のシャトルバス輸送計画の裏話が語られる。 関連ページ:1994年パシフィックGP
1969年5月3日、JAFーGP。なんとも魅力的な写真がオンパレードの一冊。 フォーミュラカーかけられた初のGPタイトルのレースは、60年代を象徴するような葉巻型フォーミュラで争われている。むき出しのエンジン、そびえ立つウイングも・・・。 そして、ファンの興味は園前座戦でおこなわれた、トヨタ1600GT VS ニッサンスカイラインGT-Rの争い。このレースがデビュー戦となったスカイラインGT-Rの初勝利。後に伝説となるGT-Rの初勝利には、少々後味の悪いこんなエピソード舞台裏があったのか。 close-up{今だから語ろう}には、スカイラインGT-Rの生みの親、桜井真一郎氏が登場。ポルシェとの死闘を演じたR38シリーズやGT-R開発の情熱を語る。
1990年10月21日。鈴鹿サーキットはアイルトン・セナVSアラン・プロストのチャンピオン争いの舞台となっていた。そして決勝スタート。1コーナーでプロストのフェラーリにセナのマクラーレンが接触、両者リタイアとなりセナのチャンピオン決定。後味の悪さに鈴鹿のファンは悲鳴を上げた。レースはピケが制したが、2位に入ったロベルト・モレノと3位に輝いた鈴木亜久里の姿は感動を与えた。当時の熱気と混迷を語る記事の再録は読み応えがある。 close-up{今だから語ろう}には、ジェラール・ラルースが登場。ESPOとの提携、鈴木亜久里との思い出などを振り返る。 関連ページ:1990年日本GP
1996年11月24日決勝 アメリカで絶大な人気を誇るNASCARストックカーレース。そのNASCARが初めて日本にやってきた。舞台は鈴鹿サーキット(東コース)。ドライバーも、デイル・アーンハート、ジェフ・ゴードン、ロビー・ゴードンらスーパースター達が並ぶ。 日本にはあまり接点が無かったアメリカンレースは、日本のレースファンにある種のカルチャーショックを与える。一見するとローテクのマシンだが、ルールが厳しいだけに激しい競争が繰り広げられた。 地元日本からも、福山英朗、脇田一輝、中谷明彦、土屋圭市の4人が参戦。 翌年からはもてぎに舞台を移し、3年間開催された日本でのNASCARの初年度を紹介する。 close up(今だから語ろう)には、このレースを制したラスティ・ウォレス。
1994年7月23-24日 日本のレースファンが待ち望んだ24時間レースがついに実現した。26年の時を経て復活した24時間レースの舞台は、北海道・十勝サーキット。 当時のレースを伝える誌面には「そして歴史がはじまった」と見出しが躍る。 現在(2008年)15回を終えた十勝24時間レースの始まり。 市販車ベースのNI仕様車を中心にGTカーも参戦というスタイルは今も変わらない。 close up(今だから語ろう)には、橋本健、通称ハシケンさんが登場。ル・マン初参戦のNSXを十勝で走らせた理由、第二期ホンダF1活動後に現れた黒いオリジナルF1マシン「カラス」のいきさつなど、舞台裏の話が疲労されている。
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