日本のモータースポーツを報道し続けてきたAUTOSPORTを発行する三栄書房が発行する、モータースポーツアーカイブス。 当時の貴重な写真や記事、公式パンフレットの復刻など、これを逃せば手に入らない資料が凝縮されています。 2006年1月より発刊中の「日本の名レース100選」をレースの年代順で紹介します。
(かなり縦に長いページになっています。新しい年代は下にありますのでスクロール下さい。見にくいとは思いますがご容赦下さい。 発刊順・発刊予定はこちら
1954年5月2・3日。鈴鹿サーキットで開催された第2回日本GPには、ほとんどすべての国産メーカーが参戦する異常な盛り上がりとなった。 クラス分けされすべてが同じレースを戦うわけでは無いにせよ、クラウン、グロリア、スカイライン、セドリック、フェアレディ、ホンダS600、コンテッサ、コロナ、ベレット、ブルーバード、コルト、コンテッサ、パブリカ、フロンテ、スバル360、キャロルなどの名前が並ぶ。 第2回日本GPでの最も有名なシーンは、式場荘吉のポルシェ・カレラGT-Sを、一瞬とはいえ生沢徹のスカイラインが抜いた瞬間だろう。後のスカイライン神話の始まりともいえるシーンである。 またこのレースに、日本で初めてフォーミュラカーが登場している。 close up(今だから語ろう)は式場荘吉氏。トヨタと契約していた式場が、何故ポルシェで参戦したのか、その理由が明かされている。
’71鈴鹿グレート20(Vol.22)
’85 WECジャパン(Vol.21)
20年近いブランクを経てスカイラインGT-Rがサーキットに復活したのは1990年。舞台は俗にグループAと呼ばれた全日本ツーリングカー選手権(JTC)。ファンは別次元の速さを見せるGT-Rを見たさにサーキットに向かった。 1991年はこのスカイラインGT-Rが選手権を盛り上げる。総合優勝は、カルソニック・スカイライン(星野一義・鈴木利男)とリーボック・スカイライン(長谷見昌弘・A.オロフソン)青と白のGT-R対決にシリーズは盛り上がり、舞台は第5戦オートポリス。 今回のclose up(今だから語ろう)は長谷見昌弘。あれだけファンを引きつけたグループAレースを長谷見昌弘は「おもしろくなかった」と打ち明ける。そのわけとは・・・・・・・
1991年SWC 九州に出現した最新サーキット,オートポリスには、グループCカー達が集結した。流星を誇ったCカーも、NA3500エンジンの採用から、すでに終演の時を迎えようとしていたのだったが・・・ しかし、メルセデスには、ミハエル・シューマッハ、プジョーにジャン・トッド、ジャガーにロス・ブラウンと、後にF1フェラーリの黄金時代を築くキーパーソンが各ワークスで競い有ってたことは興味深い事実。レベルの高さを証明するエピソードかもしれない。
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