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1950年に始まったF1世界選手権
50年を越える歴史を5年ごとに一冊にまとめた貴重な資料

■ F1全史 

1950年に始まったF1世界選手権(F1GP)のすべてを5年ごとに1冊にまとめた「F1全史」シリーズ。
どんなドライバーが、どんなマシンでグランプリを戦ったのか。シーズンの概要、各レースのすべてのリザルト、ランキングなど、詳細なデータは今ではこの本でしか確認できないかもしれません。幻のマシンの貴重な写真なども多々掲載。
高価ではありますが、F1ファンなら目を通しておきたいシリーズです。
(イデア;ニューズ出版 発売)

  タイトル 内容
  F1全史 1950−1955

F1世界GPの夜明け/メルセデス無敗神話
1950年F1世界選手権が開催され、5月13日シルバーストーンにて最初の一戦が開催された。優勝はジュゼッペ・ファリーナ。アルファロメオを駆るファリーナは初代チャンピオンに輝く。フェラーリは1952年にアルベルト・アスカリの手によりチャンピオンを獲得する。
1954年にメルセデスが復帰するとJ.M.ファンジオらのドライブで54年55年のシリーズを席巻、しかし55年のル・マンの事故によりレースの舞台から去っていった。
ファンジオ、アスカリ、S.モス、M.ホーソーンら伝説のドライバー達がプライドをかけて戦いあった時代。

  F1全史 1956−1960

ファンジオの覇権/ミッドシップ革命
ファンジオは54〜57年に4連覇を達成。その影でデビューしたクーパーの小さなミッドシップ車は、従来のフロントエンジン車に優位に立ち、1959年クーパー T51・クライマックスを駆るジャック・ブラバムがチャンピオンに輝く。1958年にはコンストラクターズ・タイトルが制定され、バンウォールが初のタイトルを獲得した。
ロータスの登場、J.ブラバム、B.マクラーレン、P.コリンズらが葉巻型F1マシンを振り回した時代。

  F1全史 1961−1965

充実の“葉巻型”1.5l時代/クラークとロータスの蜜月
1962年にはグラハム・ヒルがチャンピオンを獲得。63年には当時としては画期的なモノコックシャシーを採用した名車ロータス25によりズム・クラークがチャンピオンを獲得した。その四年64年にはジョン・サーティースがチャンピオンを獲得し、初の2輪・4輪のチャンピオンを獲得した。
1964年には、日本のホンダがF1に挑戦を開始、65年メキシコGPでリッチー・ギンサー駆るRA272が歴史に残る初勝利を記録した。

  F1全史 1966−1970

3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり
後にF1を支え続ける名機フォード-コスワースDFVが登場、1968年にグラハム・ヒルがチャンピオンを獲得した。一方ではホンダが1968年限りで第一期活動を休止する。
また、ジム・クラーク、ブルース・マクラ―レン、ヨッヘン・リントが相次いで死亡する悲しい事故も発生した。
....

  F1全史 1971−1975

名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代
名機フォード-コスワースDFVを得たロータス、ブラバム、マクラーレン、ティレル、サーティス、ウイリアムズ、シャドウ、エンサインらとフェラーリが覇権を争った時代。空力が意識されはじめ、前後の大きなウイングと巨大なインダクションボックスをもった特異な姿のマシンが次々と登場していた。
ベテランとなったスチュワートやヒルに、若手のフィッティパルディや、セベールらが激しく挑み、次代をリードするシェクター、ラウダ、ハントらがデビュー、ラウダは75年に初のチャンピオンに輝く。

  F1全史 1976−1980

空力を求めて/王者ラウダの光と影
ロータスから革新的なグラウンドエフェクトカー(ロータス78)がデビュー。77年にはルノーがターボエンジンを搭載して挑戦を開始する。また6輪ティレルや、後方にファンを備えたブラバムBT46Bなど、個性的なマシンも登場していた。
76年のニュルブルクリングで奇跡の生還をはたしたラウダは、77年に再びチャンピオンを獲得する。また1976-77には富士スピードウェイで日本初のF1レースが開催された。
ジル・ビルヌーブ、プロスト、マンセルら日本のファンになじみ深いドライバー達がデビューを果たした時代でもある。

  F1全史 1981−1985

もっとパワーを!ターボ化と政争の渦の中で
ターボ化が急速に進み、マクラーレン・TAG、ブラバム・BMW、ルノー、アルファロメオ、フェラーリらが競いあう。1983年にはホンダがスピリットと組んでF1活動を再開。84年にはウイリアムズと組み、85年には第2期活動初の優勝を飾る。
1984年にはアイルトン・セナがデビューし、85年にはプロストがフランス人初のチャンピオンを獲得するなど、90年初頭までの四天王時代の幕開けとなった時代。
..

  F1全史 1986−1990

ターボの終焉とホンダ専制時代
ターボ全盛期、ホンダの一人勝ちを防ぐべく次々と書き換えられるレギュレーションに、対応できたのはまたホンダのみ、GPをホンダ旋風が吹き荒れていた。ドライバーではピケとマンセル、セナとプロストが熾烈なチャンピオン争いを繰り広げ、1988年にはセナが初のタイトルを獲得した。
1987年には鈴鹿サーキットで日本GPが初開催され、日本人初のレギュラードライバーとなった中嶋悟、フジTVによる中継開始と共に、日本のF1ブームのきっかけとなった。

  F1全史 1991−1995

巨星墜つ!セナ不在で揺れるグランプリ界
1991年にデビューしたミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネンが台頭する一方、プロストやマンセル、ピケやパトレーゼといった強豪ベテランが立て続けにF1の舞台から去っていった。
1992年には無冠の帝王と言われたマンセルが悲願のタイトルを獲得、しかし翌年にはアメリカに活動の場を移す。日本の先駆け中嶋悟も引退しホンダは第2期活動を休止する。
そして1994年サンマリノGPでアイルトン・セナが衝撃の事故死を遂げる。セナ死すの報は世界を駆けめぐり多くの人がその死を悼んだ。一つの時代がおわった。
F1は安全性の確保に揺れる中、シューマッハ&ベネトンは94/95年と連覇を達成する。

  F1全史 1996−2000

新世紀への序章と“対”シューマッハー時代
カーナンバー1を手みやげに、シューマッハは低迷する名門を再建すべくフェラーリに移籍する。史上初の親子二代チャンピオンとなったデイモン・ヒル、CARTから鳴り物入りでF1にやってきたジャック・ビルヌーブ、そしてシューマッハのF3時代からの最大のライバル、ミカ・ハッキネンらがチャンピオンを獲得した後、20世紀最後の2000年、フェラーリは復活を遂げドライバー・コンストラクターズのWタイトルを獲得する。
また、日本からはブリヂストンが参戦を開始し、ホンダも第3期F1活動としてBARにエンジン供給を開始、またBMWもウイリアムズ説くんでF1に復帰する。

  F1全史 2001−2005 絶対王者シューマッハーの君臨とジャパンパワー
21世紀のF1はミハエル・シューマッハ&フェラーリの制圧で始まった。2000〜2004年と5連覇を達成。しかし、その間にフェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネンといった新時代をリードするドライバーが確実に力を蓄えていた。そして2005年、アロンソがルノーを駆り史上最年少でちゃんピンを獲得する時が訪れた。
2002年には巨人トヨタが満を持してF1参戦を開始、ホンダもBARとの関与を深め、ブリヂストンはミシュランと激しいタイヤ開発競争を繰り広げる。
日本の佐藤琢磨はイギリスF3チャンピオンを手みやげにF1デビュー。2004年にはアメリカGPで3位表彰谷に登り、日本のF1人気は再び盛り上がろうとしていた。
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