4月25日 日本で二つめのF1GPとして開催。1国1GPの原則から「パシフィックGP」の名称が使用された。開催サーキットはTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット〜
PPを獲得したのは、この年からウイリアムズに移籍したA.セナ。しかし、ウイリアムズのマシンはセナをもってしても扱いにくいもので、PPを獲得したものの、2番手につけるミハエル・シューマッハが上位を伺う。
決勝では、1周目にアクシデントでセナはリタイア。優勝は開幕戦ブラジルに続いてベネトンのミハエル・シューマッハとなり、このシーズンのチャンピオン争いに一気に名乗りを上げる形となり、昨年までのセナ・プロの時代から新世代への世代交代を予感させる一戦となった。
出場停止となったエディ・アーバインの代役として、スポット参戦した鈴木亜久里は、まったくテストもできないぶっつけ本番の参戦となり、満足のいく結果を残すことはできなかった。また、ブラジルGPで初の入賞を飾り、この1994年には印象的な走りを見せることになる片山右京も、このパシフィックGPでは下位に沈んでいる。
前年まで日本のレースで活動していた、ローランド・ラッツェンバーガーも初めて予選を突破し、F1デビューを飾った。
この時は、これが日本におけるアイルトン・セナのラストレースになるとは、このとき誰も知らなかった。ラッツェンバーガーに関してもまた然り。そして、F1サーカスは日本を離れヨーロッパに帰っていった。次戦のサンマリノGPをめざして・・・。
また、このレースではサーキット周辺の道路混雑を避けるため、車での入場が禁止され、すべての観客は、各地に設けられた駐車場からシャトルバスで、入場する方式がとられた。延べ1,000台とも1,400台とも言われるバスが動員されたが、予想外にトラブルも無く、無事レースを終えルことができた。
このシャトルバス方式は、2007年からの富士スピードウェイでの日本GPでも採用されている。
関連書籍:’94 F1パシフィックGP(日本の名レース100選 Vol.27)
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