F1日本上陸!
1976年、F1GPが初めて日本で開催された。開催されたのは冨士スピードウェイ。当時は日本GPの名称は他のカテゴリーで使用されていたため、「F1世界選手権inジャパン」の名称が使用された。
日本からはコジマがオリジナルシャーシーにフォードエンジンを搭載して、コジマKE007で長谷見昌弘が参戦。星野一義は旧型ティレル007フォードでの参戦。また、高原敬武、桑島正美もそれぞれ参戦している、
レース前のドライバーズ・ミーティングでは、あるドライバーが日本人ドライバー達に「周回遅れの時に抜かれたい方の手を挙げて合図しろ」と発言。ジョークのつもりだったらしいが、星野、長谷見の気持ちを奮い立たせるのには十分すぎる台詞だった。
決勝当日は雨。あまりに危険であるとしてスタートは延期され、3時スタートとなった。しかしチャンピオン争いをリードしていたニキ・ラウダは、状況が危険すぎるとして自らリタイアを選択する。そんな中、星野一義は一時3位を走行し注目を集める。しかし、タイヤ交換の為ピットに戻った星野はリタイアせざるを得なかった。何と交換すべきタイヤが無かったのだ。リタイアを決めた後、星野はマシンから降りることも出来ないほど悔しさで涙したという。
レースはマリオ・アンドレッティが優勝。チャンピオンシップをリードしていたニキ・ラウダがリタイアを選択したため、ジェームス・ハントが逆転でチャンピオンを決めた。
「人生にはワールドタイトルよりももっと大切なものがある。たとえば命がそうだ。」
(リタイア直後のニキ・ラウダの第一声)
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