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アクシデント・忘れてはいけない記憶
1999年

1999年
 


舘 信吾 (たち しんご) 3月11日 テスト TIサーキット英田
TIサーキット英田(現、岡山国際サーキット)でJGTCのテスト走行中にコースを外れクラッシュ。胸などを強打して死亡した。

OSAMU(中嶋 修) 5月23日 フォーミュラ・ニッポン
セントラルパークMINEで開催されたフォーミュラ・ニッポン第3戦は雨の中開催された。強い雨が降り続く中スタートがきられたが、1周目に大アクシデントが発生した。予選16番手からスタートし、中段で走っていたOSAMUは水煙で前が全く見えない状況の中、前を走るクルムを追走。メインスタンドストレートでアクセル全開のままOSAMUがミハエル・クルムのマシンにに接触、クルムをジャンプ台にしてオサムのマシンは跳ね上がりコンクリートウォールへ激突した。マシンのモノコックは割れ、ヘルメットも割れ呈他という状況で、オフィシャルも関係者もOSAMU選手は死亡したと思い、ブルーシートが来るのを待っていたという。(事故当時42歳)
OSAMU選手は多発骨折を負い数ヶ月にわたる入院生活を必要としたが、退院後再びレースシーンに復活した。
関連サイト:http://www.geocities.co.jp/MotorCity/2325/krhc.htm「公認非公式?OSAMUファンページ」

マーク・ウェバー Mark Webber 6月11日 ル・マン24時間
ピーター・ダンブレック Peter Dumbreck 6月13日
1999年のル・マン24時間耐久レース。メルセデス・ベンツはGT1規定のマシン「CLR」を送り込んだ。 しかし、ル・マン決勝前の予選日、衝撃的なシーンがコース上で展開された。木曜日の予選2回目、マーク・ウェバーが乗るCLRがミュルサンヌとインディアナポリスの高速区間を走行中、いきなりマシンのノーズが浮き上がり空中に舞い上がったのだった。木の葉のように宙を舞ったマシンは天地逆の状態で落下する。幸いにもウェバーは無事だった。
メルセデスは、フロントノーズ両脇に小さなスポイラーを追加し決勝レースに出場する。
そして6月13日決勝レースがスタートして、約4時間が経過したころ、再びアクシデントは発生する。ウェバーのチームメイトであるピーター・ダンブレックがCLRで走行中、ウェーバーと同様にマシンは宙を舞った。高く舞い上がりガードレールのはるか上空を通過してコースサイドにマシンは落下した。ダンブレックも無事ではあったが、その衝撃的なシーンは世界中に配信された。この事故を受けて、メルセデスはル・マンから撤退。(1955年の大惨事による撤退以来、これがメルセデスとしては4度目の撤退となる)
原因は、フロントのダウンフォース不足、路面のうねりにより想定を越えたピッチングが起こり、想定以上の空気がマシン下面に入り込んだこと。前車に近づきすぎたためダウンフォースを失った為、などと言われる。
この事故は、後にFIAを初めとする各種機関で研究され、その研究成果は世界のモータースポーツシーンに提言され、レギュレーション規制やマシン設計に大きな影響を与え、安全性の向上に寄与するきっかけとなった。

ミハエル・シューマッハ 
Michael Schumacher 
(ドイツ)
7月11日 F1・イギリスGP

第8戦イギリスGPは、スタートしてまもなく他車のクラッシュによりレースは赤旗が提示された。
しかしミハエルにはその知らせが通じなかったのか、シューマッハはチームメイトのアーバインにオーバーテイクを仕掛ける。しかし、オーバースピードからコースアウト、マシンはタイヤバリアにまっすぐにクラッシュし大破。シューマッハは命には別状が無いものの、足を骨折。第9〜14戦を欠場することとなった。

ミハエル・シューマッハは、この事故の翌年2000年から2004年まで5連覇を記録、都合7度のタイトルという記録を残して2006年限りでF1から引退。
2009年1月にTVのインタビューにおいて、この事故について次のように振り返っている。
「クラッシュしてマシンが止まり、コクピットから救出されて横たわっていると、自分で心臓の鼓動が急に遅くなっていくのがわかったんだ。
ほらだんだんと炎が小さくなり、やがて消えてしまう時のようにね。それで僕は『ああ、こうして死んでいくんだな』と感じていた。」


大島 正 (おおしま ただし) 8月29日 (2輪) もてぎ7時間耐久レース
大島正スタート1分後90度コーナーでTOP争いの中、インからさして来たマシンに後ろから接触され転倒。コース上に倒れていたところに後続車に頭部を跳ねられた。大島正は病院に搬送されたがほぼ即死の状態だった。享年35歳
82年にレースデビューし88年の鈴鹿200kmで雨の中プライベート参戦ながら優勝を遂げ、89年と90年には鈴鹿8耐で2年連続2位入賞。その後も国内参戦を続け、亡くなる前年の98年には第一回のもてぎ7耐で3位表彰台に上っていた。

(太字の部分は、当時の状況を独自に調査された大島正選手のお母様よりいただいた情報です。
ここに、お母様よりいただいたメッセージを転載させていただきます)

「レースを愛し続け、人生半ばで逝ってしまった
多くのライダーの冥福を祈りながら・・・
レースに係わる人全てに安全管理、危機回避能力など極めて頂いて多くのファンの皆様が熱く燃えるレースで闘って欲しいと思います」
関連サイト:http://www.t-oshima.com/ 
(
画像は上の大島正メモリアルサイトより、1999年鈴鹿SSS600でのもの)

ゴンザロ・ロドリゲス 9月12日 CART
CARTシリーズ第17戦ラグナセカの予選中コークスクリュー・コーナーでコースアウト。
タイヤバリアとガードレールにTボーンクラッシュの後それを飛び越えて裏返しになり、コース外の法面に転落し死亡。享年27歳

グレッグ・ムーア 10月31日 CART・カリフォルニア州
フォンタナでのチャンプカーシリーズ最終戦決勝でグレッグ・ムーアが側壁に激突し死亡。享年24歳


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