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アクシデント・忘れてはいけない記憶
1998年

1998年
 


青木琢磨 (あおき たくま) 1998年 (2輪) テスト
テスト中に事故にあい、脊髄を損傷。
1995年にホンダのワークスライダーとして全日本選手権に参戦、スーパーバイクで95年、96年と2年連続でチャンピオンを獲得。97年からはWGP500クラスに参戦、デビューイヤーにランキング5位を獲得。兄の宣篤、弟の治親と共に青木3兄弟として期待と人気を集めていたが、テスト中に事故に遭い脊髄を損傷してしまった。
しかし、車椅子をパートナーとする生活ではあるものの、カートなど可能なレース活動を続けている。

ジャーナリスト 2月14日 ラリー ベルギー
ベルギーのスパで行われたWRCのステップアップシリーズ[ベルギー1stディビジョンラリーチャンピオンシップ](通称BRC)の一戦「ブクレ(ブークレス?)デ・スパ」で、ベルナール・ミュンスター(バーナンド・ムーンスター)の駆るスバルがコントロールを失い、コースサイドで観戦していた観客の列に突っ込んだ。この事故により4人が巻き込まれ、そのうち記者の一人が死亡、同行した無線技師、カメラマン、またもう一人の記者が重傷を負った

太田哲也 (おおた てつや)

5月3日 JGTC・富士スピードウェイ

JGTC第2戦。ローリングスタートに向けてペースカー先導によるフォーメイションラップ中、雨が激しく視界が悪かったために、ペースカーはピットに戻らずフォーメイションラップ継続となったが、この混乱によりメインストレートにおいて多重クラッシュが発生。太田哲也のフェラーリ・F355も巻き込まれ、爆発・炎上した。
炎上する太田のマシンに対して救助は遅れ、消化・救出にはドライバー仲間が開始したが、太田は1分近くマシンに取り残された。
太田は瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に一命は取り留めた。

事故の原因として、スタートのペースカーの速度や挙動があげられ、また事故後の救助体制の問題など、レース主催者やサーキットサイドの安全管理など多くの問題点が指摘されることとなった。
太田哲也は当初再起不能と言われたが、事故から2年半後にサーキットへ復帰。リハビリの模様などは、自らの著した書籍や映画化もされた。
関連サイト 太田哲也公式HP  1998JGTCRd.2ドライバー証言集1  
関連書籍 クラッシュ-絶望を希望に変える瞬間-  リバース-魂の戻る場所- 


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