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1988年 NASCARの英雄リチャード・ペティが遭遇したクラッシュ
 

現在アメリカで最も多くのファンを動員するモータースポーツがNASCAR(National Association for Stock Car Auto Racing)である。

このシリーズの歴史の中で多くのドライバー達が、死闘を演じ、多くの感動をファンに与えてきた。そんな多くのNASCARのドライバー達の中でも、特記すべきドライバーが2人いる、リチャード・ペティとデイル・アーンハートの2人である。
リチャード・ペティは1960年代から、そしてデイル・アーンハートは1970年代から、それぞれ20年以上に渡ってNASCARで大活躍しそれぞれが7度のチャンピオンを獲得している。

NASCARの人気を二分したペティとアーンハートだったが、リチャード・ペティは1992年におよそ34年間のNASCAR人生に終止符を打った。そして、デイル・アーンハートは2001年にレース中に帰らぬ人となってしまった。

無事にレースを引退したリチャード・ペティだが、2000年には孫のアダム・ペティがロードンでのNASCARブッシュ・シリーズのレースで死亡するという悲しみにも経験している。また、リチャード本人も1988年には大クラッシュを経験している。


このページでは、リチャード・ペティのクラッシュの画像を紹介する。

ペティのトレードマークはカーナンバー「43」
リー・ペティから始まった、ペティ一族はリチャード・ペティ、カイル・ペティ、アダム・ペティと4代にもわたってNASCARで活躍した。しかし、アダム・ペティは2000年のレース中に死亡。

リチャード・ペティは1992年に引退後は、自らのチームを率いてNASCARに参戦。孫の死亡という悲劇を乗り越え、現在も活躍している。2007年で70歳になるベティはトレードマークのサングラスとカウボーイハットを着け、今も元気な姿を見せてくれてる。

(上の画像はブッシュ大統領と面会した時のもの。)

 

本ページの画像はクロスノフさんから提供いただきました。

2枚目から6枚目の画像は「WestMotorSportMovies」さんのご了承を得て転載させていただきました

 

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