1971年1月10日、WSC開幕戦ブエノスアイレス1000kmにアルトゥーロ・メルツァリオと組みFerrari312PBで参戦していたイグナツィオ・ギュンティ。
165周で行われる決勝レースの38周目に悲劇が起きてしまった。
ギュンティのミスではなく、ひとりのドライバーの無謀な行為と、マーシャル達の不手際の犠牲として・・・
36周目にジャン・ピエール・ベルトワーズ&ジャン・ピエール・ジャブイーユ組のマトラ・シムカMS660が
最終コーナーでエンジントラブルでストップする。
まだレース序盤でもあり、また停止位置がピットに近い位置だったということもあり、ドライバーのベルトワーズはマシンをピットに向けて押し始めた。
写真は最終コーナーコース上でマシンを押していくジャン・ピエール・ベルトワーズ。
マシンは次第にコース外側に押しやられていったが、数台の後続車が急ブレーキをかけて避けていくといった危険な状況。
しかも、その間あろう事かイエローフラッグも振られていなかった。
この危険な状況に、マーシャルはベルトワーズにマシンを置いて安全な場所に避難する事を指示した。
そしてベルトワーズが退避したその直後、猛烈なスピードでホームストレートに入ってきたイグナツィオ・ギュンティの乗るフェラーリ312PBが現場にさしかかり、避ける間もなく激突し瞬時に爆発炎上する。
ギュンティのマシンが激突した瞬間。
(この画像では見えないが、激突されたマトラも車体後部及び左側面が粉砕した。また画像左側には、避難しているベルトワーズの姿も見てとれる。)
炎上するギュンティのFerrari312PB。
脇を通過するのはエマーソン・フィッティパルディのポルシェ917K。
さらに火勢を増す事故車。
消火は直ちに行われたが、その間レースを中断する事も、マーシャルが後続車に回避指示を送る事もなかった。
やがて火は消火されたものの、マシンは骨組みを残してほぼ焼け落ちてしまった。
ドライバーのイグナツィオ・ギュンティはマシンの中で死亡していた。享年29歳。
この事故は、主催側の運営の怠慢と、ベルトワーズの無謀な行為が引き起こした「人災」とされ、事故後アルゼンチンの
警察が介入する事態にまでなった。
イグナツィオ・ギュンティはF1でも1970年に4回出走。
デビューがフェラーリというシンデレラボーイで、その初レースのベルギーGPで4位入賞を果たしたのが最高位として記録されている。
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