セナを一言でいうなら、やはり、速さだろうか。
特に予選での走りは、どこか危うさが有り、見るものを魅了するものが有った。
出走161回中、ポールポジションが65回。この記録は現在でも歴代一位では有り、その内の46回はマクラーレン・ホンダで記録している。特に88年から91年の4年感で45回のPPを獲得と、圧倒的な速さを印象づけている。
最大のライバルであったアラン・プロストが、予選よりもレース中の速さでポイントを重ねたのに対し、セナはポールポジションからそのまま逃げ切って優勝というパターンが多かったのも対照的だった。
現在、最強の皇帝として評されるミハエル・シューマッハーは、強さと速さを兼ね備えていますが、セナの場合、速いがどこかもろいというイメージをぬぐうことは出来ない。
ロータス在籍時、日本人最初のF1レギュラードライバーである中嶋悟の最初のチームメイトとなったが、当時日本では一番速いと思われていた中嶋が手も足も出ない速さを目の当たりにさせられ、その差に愕然とすることが多かった。何しろ同じマシンに乗った中嶋は、レースでは1周遅れになることが多かったのだから。
私の中でセナのレースとして最も印象的なのは、1992年のモナコGP(マンセルとの死闘)と1993年のヨーロッパGP(雨中のオープニングの1周)をあげる。前者は、マシンの性能に劣るマクラーレンのセナが性能に勝るウィリアムズのマンセルを、モナコの狭いコースもあり、全力で抑えきったレースとして、そして後者は雨の中、あまりに鮮やかなパッシングを繰り返し、性能に勝るウィリアムズのプロストを置き去りにした走りとして、F1ファンに強く印象つけられている。また、1991年のブラジルGPでは、6速以外のギアを失いながら、終盤走りきるという信じられないレースも見せてくれました。
逆に最悪のレースは1990年の日本GP。意志をもってプロストに突進することでリタイアさせ、チャンピオンを獲得するという後味の悪いレースだった。
いくら前年の遺恨が有るとはいえ、ファンとして最も見たくなかったレースだった。
誰よりも速さを追い求めたセナが、現在のF1を戦っていたらどうだっただろうか。予選がレースの一部として組み込まれた現在のレギュレーション。このシステムに彼はなじむことができただろうか。いや、それでも、予選の速さは群を抜き相変わらずPPを獲得し、シューマッハーと素晴らしいレースを繰り広げていたに違いない。
好き・嫌いは別にして、最も印象的で記憶に残るドライバーだったことは間違いない。
ここに改めて彼に感謝すると共に、ご冥福を祈りたい。
ありがとう、アイルトン・セナ!
これからも、天国から僕たちの好きなF1を見守ってください。
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