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モータースポーツ中に起こってしまった不幸な事故の記録
2007年

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エルマー・シモンズ 
Elmer Symons
、 (南アフリカ)
1月9日 (2輪) ダカール・ラリー

1月6日スタートしたダカールラリーにKTMのバイクだ参加。
モロッコのエルラシディアからワルザザートまでの第4ステージ(競走区間405キロメートル/総距離679キロメートル)の砂地で第3ステージを終え総合18位につけていたシモンズが衝突事故で死亡した。享年29歳。
シモンズは過去2大会に支援チームのメンバーとして参加しており、選手としては今大会が初出場だった。


ガストン・マッツァカーネ
Gaston Mazzacane 
(アルゼンチン)
1月28日 デイトナ24時
2007年Grand-Am第1戦 第45回デイトナ24時間レース。雨の降る中の難しいナイトセッションとなったが、VICI Racing からPorsche Fabcar(No,18)で参戦のガストン・マッツァカーネがクラッシュ。一時は意識を失って病院へ運ばれたが、幸いにも大事には至らなかった、

エリック・メドレン Eric Medlen 3月19日 ドラッグレース(テスト)
Gainesville Racewayでのテスト走行中、ガードレールに激突する事故が発生。メドレンは頭部に損傷を負い意識を失っており、4日後の23日に家族の希望により生命維持装置が外されて死亡した。

ロベルト・ロカテッリ 
Roberto Locatelli 
(イタリア)
3月24日 (2輪) ロードレース世界選手権250ccクラス スペイン
ロードレース世界選手権250ccクラスに参戦中、スペイン・へレスでのスペインGPのフリー走行中に、時速160キロで転倒し、防護壁に激突。頭部と顔面を強打し、肩と左足首を複雑骨折した状態で、地元の病院に搬送され、緊急手術を受けた。頭部を強打しており、自発的な呼吸はしているものの予断は許さない状況とされていたが、幸いにも28日に意識が回復した。(4月1日時点)
2000年の125ccクラスチャンピオンを獲得、2006年は250ccクラスでランキング5位となっている。

トーマス・エンゲ Tomas Enge (チェコ) 4月1日 ALMS・セントピーターズパーク
ALMS(アメリカン・ルマン・シリーズ)の第2戦セントピータースバーグ決勝レースで、フェラーリF430GTを駆ったエンゲは88周目コントロールを失って激しくコンクリートウォールに激突。マシンは大破した上に火災も発生したが、ドライバーは直ちに救出されて病院へと搬送された。診断の結果、肋骨や足首を骨折した上に肺にも損傷がみられた。
2001年にはチェコ初のF1ドライバーとして、イタリアGPから負傷欠場のルチアーノ・ブルティの代役としてプロストGPからF1デビュー。3戦に出場した経験がある。

ロバート・クビカ(クビサ) 
Robert Kubica
(ポーランド)
6月10日 F1 カナダGP
F1第6戦としてジル・ビルヌーブ・サーキットで開催されたカナダGP。多くのマシンがウォールの餌食となり、計4度もセーフティカーが出動する荒れたレースとなった。
1度目のセーフティカーが解除された直後の27周目、ヘアピン手前のゆるい左カーブで、前を行くトゥルーリ(トヨタTF107)にアウトからクビサ(BMWザウバーF1.07)が仕掛けたが、軽く接触、クビサのマシンはコース左側の縁石を越え直進するようにコースアウトした。 縁石を乗り越えた際に前輪が跳ね上がったクビサのマシンは、そのまま前輪を宙に浮かせた状態でタイヤバリアをかすめるように直進、コンクリートウォールに激突すると、マシンは跳ね返されてコースを斜めに横切るようにタイヤやウイングなど無数の部品をまき散らしながらコース上を回転しながら横切った。コース左側の壁に到達した際のマシンは、クビサを乗せたコクピットに、かろうじて左後輪のみがぶら下がっている状態で横倒しになってストップ。
もはや残骸と言って良いようなコクピットの中のクビサの姿は、最悪の事態を予感させるものであった。しかし病院に搬送されたクビサは、軽い脳震とうと捻挫という軽傷で翌日には退院することができた。
非常に激しいクラッシュであったにもかかわらず、ほぼ無傷で生還しできたことは、FIAが毎年進めてきた安全対策のたまものといえるかも知れない。

そして1年後のカナダGP、2008年6月6日クビカは自身の初優勝を同じジル・ビルヌーブ・サーキットで遂げることになる。


林田正紀(メディア)
松葉浩人(メディア)
伊藤忍(メディア)

8月25日 全日本ラリー
全日本ラリー選手権第7戦「クスコカップFMSC久留米―吉野ケ里マウンテンラリー」のSSにおいて、参加していたラリーカーが左カーブでスリップし、ガードレールに衝突。ガードレール外側で取材中だったカメラマン他3人が倒れたガードレールにはじき飛ばされる形で、高さ8mのがけを転落。林田正紀さんが胸などを強く打って意識不明の重体、松葉浩人さん伊藤忍さんの2人が重傷を負った。
この事故により、ラリーは中止された。

奥野正雄 (おくの まさお) 8月26日 (2輪) 全日本ロードレース選手権
全日本ロードレース選手権シリーズ第5戦」「ST600クラス」の決勝6周目(全18周)の第1コーナー直前で奥野選手のマシンが電気系のトラブルでスローダウンし、そこに後続マシンが激突し、6台を巻き込んだ事故が発生した。。この事故で奥野正雄が頭を強打し意識不明の重体となり、ほかのレーサー5人が軽傷を負った。
奥野選手は東北大学病院の高度救命救急センターで懸命な治療を受けていたが、9月26日午後12時49分重症脳外傷、脳ヘルニアにて死亡した。享年32歳。
関連サイト:奥野正雄オフィシャルWEBサイト

沼田憲保 (ぬまた のりやす) 9月4日 (2輪) 練習走行 岡山国際サーキット
午前10時50分ごろ、岡山国際サーキットで練習走行を行っていた沼田憲保が、ヘアピンカーブを曲がりきれずコース脇のタイヤバリヤに激突、胸などを強く打って死亡した。 享年41歳。
95、96年の全日本選手権GP250のチャンピオンであり、97、98年には世界選手権GP250に参戦するなど、日本を代表するレーサーとして知られた。
関連サイト・:不死鳥伝説

ラファエル・スペラフィコ 12月9日 ストックカー ブラジル
レンタオ・ルッソ
インテルラゴスでのブラジルのストックカー選手権のレース中、ピットレーン入り口付近の高速コーナーにおいて、ラファエル・スペラフィコのマシンがレンタオ・ルッソのマシンに真横から衝突、スペラフィコはタイヤウオールに激突し頭部にひどい外傷を負い、心肺停止で死亡した。衝突されたルッソも頭部に外傷を負った。

 

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