T総合OPに戻ります
アクシデント 忘れてはいけない記憶 記憶に残るドライバー達について がんばれニッポン・世界のレースシーンで活躍する日本人を応援 モータースポーツ関連用語解説 Link・管理人のお気に入り 掲示板  
F1 日本国内の主要レース 海外の主要レース F1グッズをはじめ色々とご紹介 BLOG(MotorSports大好き)  
   
 
TOP
Accidents -忘れてはいけない記憶-TOP
1949年以前
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年〜
2輪での事故
 
 

 
 
 

 

アクシデント・忘れてはいけない記憶
2006年

2006年
2000年代 : 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 

 

アンディ・カルデコット 1月9日 (2輪) ダカールラリー
パリダカ2輪部門で走行中、ヌアクショットからキッファのSS250キロ地点で午前11時31分にクラッシュ。
即死だった。享年41歳。
パリダカの歴史の中、23人目の事故死となっっている。

観客 1月13・14日 ダカールラリー
ダカールラリーで1月13日・14日と2日続けて観客の死亡事故が発生。この為、15日の最終第15ステージはキャンセルされた。

ヨルグ・バスタック 3月24日 JWRC (カタルーニャ・ラリー)
JWRC(ジュニア世界ラリー選手権)初参戦のアーロン・ブアカートとヨルグ・バスタックのマシンがコースを外れ、バンクで停止。コースサイドでタイヤ交換を行っていたところ、同じ場所でもう1台のマシンがでコースオフし、バスタックに追突。病院に運ばれたが、怪我のために息を引き取った。享年36歳。

ポール・ダナ Paul Dana 3月26日 IRL マイアミ
2006年IRL開幕戦「トヨタ・インディ300」において、決勝前のファイナルプラクティス中に、レイホール-レターマン・レーシングから参戦していたポール・ダナ(パノス・ホンダ)が死亡した。ターン2でエド・カーペンター(ダラーラ・ホンダ)がスピンし外側のウォールにマシンを激突、反動でカーペンターのマシンはコースイン側に向かって降りてきたところにダナがさけきれず衝突した。ダナのマシンは一瞬宙を舞い、ひっくり返ったまま数十メートル滑降した。2人のドライバーははすぐに病院に搬送されたものの、ポール・ダナは死亡した。享年30歳。

加藤直樹 4月2日 (2輪) ST600・ツインリンクもてぎ

MFJ全日本ロードレース選手権開幕戦、ST600クラスの出場した加藤直樹がスタート直後の5コーナー立ち上がりでハイサイドを起こし転倒、後ろからきたオートバイに跳ねられ死亡した。
関連サイト:加藤直樹プロフィール


前田 淳 5月29日 マン島TTレース
マン島TTレースでの練習走行中、スタート地点から3マイルほどの地点(ユニオン・ミルズ先)で、何らかの理由でスロー走行していた前田淳選手とアイルランド人ライダーと衝突。前田選手は骨盤、肋骨など数ヶ所の骨折を負い、すぐさまマン島内の病院に搬送されたものの後に英国マンチェスターの病院へと移送。緊急措置が行われ、入院していたが容態が急変。6月6日に同病院で死亡した。享年38歳。通称:マエジュン。
関連サイト:前田淳マン島奮戦記

ステファン・グスタフソン (スウェーデン) 5月16日 (2輪) スウェーデン
スウェーデン・リンコピングでの「リンコピングTT」にホンダ600で練習走行中に転倒して死亡。享年22歳。

アンリ・マーニュ (コ・ドライバー)(フランス) 6月5日 クロスカントリーラリー(モロッコラリー)
北アフリカ、モロッコ中東部で開催されていた2006年FIAクロスカントリーラリー・ワールドカップ(CCR)第4戦モロッコラリーで、ホアン・ナニ・ロマ(スペイン)とコ・ドライバー、アンリ・マーニュ(フランス)の乗るパジェロエボリューション(チーム・レプソル三菱ラリーアート)が、この日の最終競技区間の第1/第2チェックポイントの間にあるアシスタンスポイントの手前、60.30km地点でコンクリートの壁に左前方から衝突した。直後に現場を通りかかった増岡浩とメモン救助にあたったが、アンリ・マーニュの死亡が確認された。享年53歳。
ダカールラリーでは三菱の篠塚建次郎のコ・ドライバーとなり、1988年には総合2位に入賞。1997年には篠塚の日本人によるパリダカ初優勝に大きく貢献した。2000年にはジャン・ルイ・シュレッサー(フランス)とコンビを組み、シュレッサー・バギーで2度目のパリダカ優勝を獲得している。

クリスチアーノ・ダ・マッタ
Cristiano da Matta  
(ブラジル)
8月3日 テスト (ロードアメリカ)
ロードアメリカでの合同テスト中、コース上に突然現れた鹿と、ダ・マッタのマシンが激突する事故が発生。
ターン6付近の上り坂を時速約130マイル(約208キロ)で走行していたダ・マッタは、突然鹿がコースに現れたためフルブレーキングで90マイル(約144キロ)までスキッドマークを残しながら速度を下げたものの鹿と激突、ヘルメットを直撃して頭部に損傷を受けた。
直ちに病院に運ばれたダ・マッタだったが、硬膜下血腫で集中治療室で治療を受け回復。
約1年10ヶ月のリハビリ及び休養ののち、2008年5月にラグナ・セカで行われたグランダム・シリーズにて復帰を果たした。
ダ・マッタは2002年のCARTシリーズチャンピオンを獲得、2003〜04年はトヨタからF1にも参戦していた。

ピーター・ブロック Peter Brock 9月8日 タルガ・ウエスト・ラリー(オーストラリア)
ミック・ホーン
タルガ・ウエスト・ターマック・ラリーの競技中に立ち木にクラッシュしてドライバーのピーター・ブロックが死亡した。享年61歳。
コ・ドライバーのミック・ホーンは病院に運ばれ、重傷ではあるが状態は安定しているという。(2006年9月10日)
ピーター・ブロックはオーストラリア最大の耐久レース、バサースト1000で9回の優勝を記録し、3度にわたってオーストラリア・ツーリングカー・チャンピオンに輝いたオーストラリアの国民的ヒーローだった。

マーク・ポーター Mark Porter 10月6日 V8スーパーカー  オーストラリア
デビッド・クラーク
V8 Supercarsの下位イベントであるFujitsu(富士通) V8 Supercar Series。マーク・ポーターがクラッシュしてコース上で止まってる所に、後続のデビッド・クラークが避けきれずにポーターのマシンの運転席側に激突した。ポーターは病院へ搬送されたが、2日後に死亡した。また、激突したクラークも重傷を負ったが、命は取り留めた。(右の画像はピケオさん提供)
ポーターの事故後のマシン画像(MOZAさん提供)





 サイト内検索 
 
カスタム検索
 ご注意
  • 本ページに掲載の画像は、掲示板を通じてご提供いただいたものです。画像の著作権はそれぞれの著作者が有しています。万一掲載に不都合が有る場合は掲示板にてご連絡下さい。対応させていただきます。
  • 本ページに掲載の情報は、管理人が書籍や雑誌で確認したもの、インターネット上の情報をまとめたもの、および掲示板を通じて情報提供いただいたものを管理人がまとめたものです。間違いなどがございましたら、ご指摘いただけるとありがたく思います

 

スポンサー

年収アップした人が65%も世の中にいるヒミツ 
●3年ごとに15万円のボーナスがもらえる女性のためのウレシイ保険
ムダな保険、かけていませんか?「1年組み立て保険」
【JTB】四国のおすすめ旅館・ホテル

初回1,000円割引中!コンタクトをおトクに当日お持帰り☆
自動車保険【アクサダイレクト】 
出会い.forレディース.com

ハッピーメール 
【JTB】スタッフけんさくん 
アイディーオー証券  
 
{広告スペース}
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送