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ファブリッツィオ・メオーニ 1月11日 (2輪) ダカールラリー
テレフォニカ・ダカール2005の第11ステージで10時15分175kmポイントにおいて転倒、20分後に医者を乗せたヘリコプターが到着し救急措置がとられたが、その甲斐なく11時11分死亡が確認された。享年47歳。
ダカールラリーの歴史の中で11番目のライダーの死亡事故となった。
1994年のパリダカで4位入賞をはじめ、2001・2002年はダカールラリーを連覇しており、「砂漠の帝王」とも呼ばれた偉大なチャンピオンライダーだった。

ブルーノ・ジュンケイラ Bruno Junqueira 5月30日 INDY500
決勝レース78周目のターン3で6番手を走行していたブルーノ・ジュンケイラ(パノス・ホンダ)がラップ遅れのAJフォイト4世(ダラーラ・トヨタ)と接触しマシンをウォールに激しく打ち付けるアクシデントが発生。マーシャルにより救出され病院へ搬送されたが、脊椎を骨折する重傷を負った。

佐藤圭介 6月12日 (2輪) 鈴鹿200km耐久ロードレース(鈴鹿)
鈴鹿200km耐久ロードレースの予選。
鈴鹿サーキットの2コーナー付近で、前を走っていて転倒した2台を避けようとしてコースから外れ、コンクリート壁の切れ目にに衝突し間もなく死亡した。享年24歳。
この年5月の鈴鹿選手権シリーズ第2戦で雨の中優勝を記録。事故当日も予選2グループ目の2番手のタイムを記録していた矢先の事故だった。

マイケル・パーク Michael Park
(コ・ドライバー)
9月18日 WRC ラリーGB
(本名:Michael Steven Park)
ラリー・グレートブリテンンの最終日午前中最後のSS15(マーガムパーク・27km)で、マルコ・マルティンのドライブするプジョー307が左カーブをコースオフし、そのままスピードを落とさずにコース脇の樫の古木に右側面(助手席側)が激突した。マルティンはすぐに救助を求めたが、マシンはその衝撃により307の車体は助手席側が3分の2近くにわたり潰れており、コ・ドライバーのマイケル・パークはほぼ即死の状態だった。
この事故を受け、ラリーは中止された。
マルコ・マーティンとマイケル・パークは2000年からコンビを組み、プライベーターとしてラリーに出場していた頃からのコンビだった。
2005WRC ラリー・分レートブリテン (DVD)

岡河司郎 10月29日 (2輪) 全日本ロードレース(もてぎ)
ツインリンクもてぎでの全日本ロードレース選手権最終戦。
ST600予選1回目の90度コーナーで転倒、セカンドアンダーブリッジのコンクリート壁に激突。搬送先の病院で死亡。享年32歳


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