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加藤大治郎 (かとう だいじろう) 4月6日 モトGP 日本GP
モトGP開幕戦、日本GP決勝の3周目に大クラッシュ、頭、首、胸などを強打して加藤大治郎は意識不明の重体となる。多くのファンがその回復を祈ったが、願いはかなわず事故発生から15日目の4月20日午前零時42分、脳幹梗塞のため入院先の三重・四日市市内の病院で亡くなった。享年26歳
関連サイト:大ちゃんすばらしい感動をありがとう(HONDA Motorsports) 
加藤大治郎選手事故調査委員会の報告を受けて  
加藤大治郎選手の事故はウィーブモードが原因(OCNスポーツ)

ポッサム・ボーン Possum Bourne 4月18日 ヒルクライム(ニュージーランド)
(本名:ピーター・レイモンド・ジョージ・ボーン)
NZのヒルクライムイベント「レース・トゥ・ザ・スカイ」のレッキ中、前から走行してきたRV車と正面衝突。懸命な治療もむなしく、4月30日に病院で死亡。享年47歳。

マーク・ラベル Mark Lovell
ロジャー・フリーマン(コ・ドライバー) Roger Freeman

7月12日 ラリー (アメリカ)
SCCA・プロラリー・チャンピオンシップの第5戦オレゴン・トレイル・ラリーに出場したSRT USA(Subaru Rally Team USA)のマーク・ラベル(イギリス・画像右)とコ・ドライバー、ロジャー・フリーマン(イギリス・画像左)が乗るインプレッサがSS1でコースオフ、高速で木に衝突した。この衝突で二人は致命傷を負っており、駆けつけた救急医療隊が現場の診察で死亡の判断をした。ラベル享年43歳、フリーマン享年51歳。
共に20年以上のキャリアを持つ二人は86年のイギリスラリー選手権で初コンビを組んだ旧知の仲で2003年に再びコンビとなりシリーズを連戦していたなかでの事故だった。
また、フーリマンはかつて新井敏弘とコンビを組んだ経験もあり、新井敏弘が師と仰ぐ存在であった。
新井敏弘が2005年PCWRCワールドチャンピオンに輝いた際、FIAの表彰に先立ち、墓前に報告に行ったという。
(資料提供はピケオさん)

大竹厚明(コ・ドライバー) 9月28日 全日本ラリー選手権
群馬県で開催された全日本ラリー選手権第7戦「モントレー2003」において、2輪駆動部門Bクラスに参戦していた栗原謙一/大竹厚明組のESSO C-ONE CELICAがレグ2、SS13(5.0km)の1.8km地点でコースアウト。マシンは立木にクラッシュし、コ・ドライバーの大竹厚明選手が負傷。オフィシャルの迅速な対応により病院に搬送されるも、懸命な治療の甲斐なく9月30日に死亡した。享年36歳。
国内ラリーとしては、20年ぶりの死亡事故となってしまった。

ケニー・ブラック 10月12日 IRL
テキサス・モーター・スピードウェイ(1.5マイルオーバル)で開催された、IRLインディカーシリーズの最終戦(第16戦)決勝で、3位を走行していたトーマス・シェクターにケニー・ブラックがオーバーテイクを試みたが、両者は接触、ブラックのマシンは宙を舞い、激しくクラッシュした。ブラックは重傷を負ったが、幸い命には別状が無かった。
この事故により、ブラックは翌シーズンの欠場を余儀なくされ、そのシートにはバディ・ライスが獲得、翌2004年のINDY500を制するなど活躍を見せる。しかし、そのライスは2005年のINDY500のテスト中にクラッシュ、欠場となり、そのライスのシートをケニー・ブラックが獲得してレースに復帰するという運命の皮肉が見られた。

トニー・レナ Tony Renna 10月22日 IRL テスト
インディアポリス・モータースピードウェイで行われていたファイアストンタイヤのテストに参加していたトニー・レナ(チップ・ガナッシ)が、テスト開始直後の4周目にターン3に227mph(約365km/h)で進入し、コーナリング中に90°スピン。インフィールドの芝の上を滑るうちにマシンは宙を舞い、フェンスにボトムから激突した。この際、不運にもフェンスの支柱にぶつかってしまう。マシンは大破、コックピットが二つに裂けるほどの衝撃で、セーフティ・クルーが到着した時にはすでにレナの心拍は停止しており、病院へ搬送されたものの到着と同時に医師が死亡の診断をした。享年26歳
2002年の終盤にアル・アンサーJrの代役としてIRLにデビュー。2003年にはインディ500に参戦4位という結果を残し、2004年からはチップガナッシレーシングから参戦することが決定していた矢先の事故となってしまった。
(画像提供はピケオさん)

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