松永 喬(ホンダR1300) 1969年8月10日(鈴鹿12時間耐久レース)

1969年8月10日、猛暑の中開催された鈴鹿12時間耐久レース。
松永喬はホンダR1300で参戦した。
ホンダR1300は、同年6月の鈴鹿1000kmレースでデビューし、このレースが2戦目だった。
トップ争いをしながら迎えた終盤8時過ぎ、給油を終えて走行中だった同選手はヘアピンと
スプーンカーブに向かう中間地点で前を行くサニーをかわそうと接触、コースアウトしてノーブレーキのまま右135Rで右側ガードレールに衝突した。そこに後続車が突っ込んで炎上。
松永選手は全身大火傷を負い、25日後の9月4日に死亡した。享年26歳。
この事故をもって、R1300の開発は打ち切られた。
なお、事故現場となった右コーナーはその後「マッチャン」コーナーと呼ばれるようになり、今もなおその名が受け継がれている。
画像は事故直前の松永喬選手です。