8月1日、F1第6戦ドイツGPのプラクティス走行中
ポルシェで疾走中にコースを外れ、コース脇の法面を
転落、防護ネットを突き破り樹木に激突して逆立ちと
なった状態で停止した。車体にそれ程のダメージは
なかったが、ボーフォール伯爵はマシンから投げ出され
病院に運ばれたものの、二日後の8月3日に死亡した。
車自体には大きなダメージは無く、当時はシートベルトを装着していなかったため
マシンから投げ出されたことが死亡に繋がったと思われる。
シートベルト自体は、すでに1959年にボルボによって3点式シートベルトが開発され、
市販車にも装着されはじめていた。
しかし、フォーミュラカーにシートベルトが義務づけられたのは1960年代後半頃で
それまでは、事故で火災が発生するとシートベルトのために脱出が困難になると考えられ、
「焼け死ぬよりは車外に投げ出された方が安全」という考えから
シートベルトは義務づけられていなかった。
1960年代の死亡事故でも、シートベルトを装着していれば最悪の事態は避けられたのではないかと
思われる事故が多数見受けられるのは、(今思えば)非常に残念なことではある。
■マシン自体には大きなダメージは見られない
■ド・ボーフォール伯爵の葬儀の模様
グラハム・ヒル、ベン・ポンら多くのドライバー仲間達が参列、ド・ボーフォール伯爵を見送った。
F1でも常にポルシェで戦い続けたド・ボーフォールの在りし日の姿
■1962年ルーアンで開催されたF1フランスGPでのド・ボーフォール。
マシンはポルシェ 718でフロントが、オランダのナショナルからーであるオレンジに塗られている。
このレースでは、予選17位からスタートし、6位入賞を果たしている。
■1963年 F1ドイツGP
ニュルブルクリンクでのドイツGP。マシンはポルシェ 718で、全面オレンジのカラーリングが映える。
■1964年 F1ドイツGP(ニュルブルクリンク)
最後のレースとなってしまった、F1ドイツGPでのもの。
予選に向けてピットから出て行くところ。
ニュルブルクリンクの木立ちの中を疾走するボーフォール&ポルシェ
この写真が撮影されてまもなく、上記の事故に遭遇することとなる。
1964年ドイツGPの予選結果では、9:37.900の記録が残り、PPのJ.サーティースに対して+59.500。
最下位ながら予選通過タイムとなっている。
写真および事故の状況は、すべてMOZAさんに提供いただきました。
本ページはMOZAさんにいただいた写真・文を元に、管理人(キャビン85)が構成・加筆しました。