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ホンダは87年までのウィリアムズから、マクラーレンへとエンジン供給チームを変更。それに伴い、セナもマクラーレンに移籍をした。マクラーレン・ホンダは鈴鹿に来るまで14戦を戦い、セナとチームメイトのプロストとで13勝をあげるという圧勝ぶり。セナとプロストのタイトル争いの決戦の場として鈴鹿にやってきた。
予選はセナ1位、プロスト2位を獲得。中嶋悟(ロータス・ホンダ)も6位グリッドを獲得している。
決勝ではセナと中嶋の二人がスタートに失敗、エンジンをストールさせてしまう。しかし、下り坂に助けられ共にエンジン始動に成功。セナは中段から猛烈に追い上げ2位まで浮上。プロストとセナのチームメイト対決となってきた。
この時チームは、2人の対決を見守るしかなかった。「二人の一騎打ちになったから、ピットから一切のサインを出すのをやめて、彼らの判断に任せることにしたんです」(ホンダ総監督・後藤治)
27周目、首位を走るプロストが周回遅れに詰まった隙をついて逆転。セナはトップでチェッカーを受け、初のワールド・チャンピオンに輝いた。また、この勝利はホンダにとっても母国での初の勝利であり、ホンダの「おやじ」本田宗一郎氏の眼前での勝利だった。。
中嶋悟もスタートの出遅れを挽回したが、入賞まであと一歩の7位に入った。
(12万1000人)
 1988年日本GP セナ初の戴冠は2年目の鈴鹿で
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