ビルヌーブとピーターソンの事故、そして観客が・・。
日本からは前年無念のリタイアに終わった星野一義はコジマ・エンジニアリングから参戦。高原敬武もコジマから、また、高橋国光もティレルのマシンで参戦した。
レースは昨年のチャンピオン、J.ハントが優勝し、高橋国光が9位、星野一義は11位だった。
しかし、このレースでは重大な事故が起こっている。5周目、第1コーナーで接触事故が発生。立ち入り禁止区域に入ってた観客の中にマシンが突っ込み死者2名、重軽傷者7名を出す重大事故となった。コーナー進入時、ロニー・ピーターソン(タイレル)にジル・ビルヌーブ(フェラーリ)が追突する形で接触。この年のイギリスGPでデビューをはたし、日本での初レースとなった、後の伝説のドライバー、ビルヌーブのマシンはコース上でバウンドした後、立ち入り禁止区域に入り込んでいた観客達のの中に突っ込んで行ってしまった。この事故で2人が死亡し、多数が重軽傷を負う事態となってしまった。
レースにアクシデントはつきものであるが、サーキットでの事故を公道での無謀運転と同様に報道したメディアの影響は大きく、以後F1の開催は中止に追い込まれることとなった。
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