1997年以来30年ぶりに富士スピードウェイにF1GPが帰ってきた。
30年の時が流れる間に、富士スピードウェイはトヨタ自動車によって買収され全面改修をうけ近代サーキットに生まれ変わっている。しかし、約1.5kmに及ぶストレートは健在。新生富士スピードウェイを舞台に新たにF1の物語が刻まれる。
山本左近とA.スーティルの2人を除き、ほとんどのドライバーが初体験となる富士スピードウェイをどのように後略するのか注目が集まったが、初日フリー走行はハミルトン、アロンソのマクラーレン勢がトップタイムを記録する。
そして、2日目の土曜日は31年前を彷彿とさせる富士ウェザーがF1を翻弄する。降りしきる雨と富士名物ともいえる霧のため、ドクターヘリが飛べない状況。午前のフリー走行は数度のディレイの後、わずか5分ほど走行しただけで中止となった。
午後からの予選も危ぶまれたがなんとか行われ、ルーキーながらシリーズをリードするL.ハミルトンがPPを獲得。アロンソ、ライコネン、マッサとチャンピオンシップのランク通りに続いている。
日曜の決勝レースは、前日に続いての雨の中での開催となった。
雨が降りしきる中レースはスタートとなったが、視界不良など危険が懸念されるため、セーフティカーに先導されてのスタートとなった。また、スタート時において、全車エクストリームウェットタイヤの装着を義務付けられてのスタートとなったが、フェラーリはこの通知(E-mailでの通知)を受け取っていなかったとして、通常のレインタイヤをそう着衣するというミスを犯していた。フェラーリはマッサ、ライコネンのタイヤ交換をせざるを得ず、後方にさがってしまった。
雨は一向にやむ気配も無く、セーフティカーランは延々と続く。多くのドライバーは、まったく視界がなくレースをできる状況では無かった、とレース後に語っている。
67周の予定の中、レースも1/3になろうとする19周目、ようやくセーフティカーはピットに戻り、本当のレースがスタートした。
トップを走るマクラーレンのルイス・ハミルトンは加速と減速を繰り返し、ブレーキとタイヤを温めながら、後続のマシンを牽制、ギリギリまでスピードを押さえ、後続の車両をだんご状態にしつつ全速走行を開始。トップの座を守ることに成功するが、後続はやはり1コーナーで混乱が発生する。
悪天候の中、F1ドライバーたちは懸命の走りを展開する。また一方では、やはり接触などアクシデントも発生。ハミルトンを追っていたアロンソも、トロロッソのS.ベッテルと接触、アロンソのマシン右側面にダメージを負ってしまう。
これが影響したのか、焦りだったのか、42周目にアロンソはスピンからコース右側面に衝突しマシンは大破、リタイアとなってしまう。
このアクシデントにより、再びセーフティカー導入となったが、この間にも再びアクシデントが発生する。
雨天での荒れた展開の中、2位にあがっていたレッドブルのウェーバーに、一時はラップリーダーも記録するなど健闘していた3位のS.ベッテルが追突。両者リタイアとなってしまう。セーフティカー先導中のハミルトンの不規則な加減速に気をとられての追突だった。ウェーバーは激怒、ベッテルはピットで涙を流すシーンも。
最終ラップは2007年日本GPのハイライトともいえる周回となった。
2位争いを展開するルノーのコバライネンとフェラーリのライコネンはコバライネンが2位を獲得することに成功する。その後方では6位の座を争ってBMWのクビサとフェラーリのマッサがデットヒートを展開。互いにマシンを接触させながらもコーナーごとにポジションを入れ替える。時には両者共にコースから外れながらもポジションを争うという意地のぶつかり合いともいえる展開となったが、最後はマッサが6位に入賞を果たした。
地元の日本人ドライバー、佐藤琢磨と山本左近は、予選21位、22位と最後方からの追い上げとなったが、荒れた展開のレースを走りきり山本左近12位、佐藤琢磨15位と完走を果たした。
31年前と同様の豪雨の中でのレースとなった富士スピードウェイでの日本グランプリ。
悪コンディションの中でもF1ドライバーは素晴らしいレースを展開してくれた。
しかし、コース外では、降りしきる雨の中サーキットに集まったファン達が、予想外の展開に苦しめられていた。
シャトルバスでの来場システムが破綻、ファンは冷たい雨の中、どろどろのぬかるみの中を数時間も立ちつくすことを強制される。スタートに間に合わないとして、バスを降り、延々と歩く人々の姿も。責任者がいない、情報が入らない、
さらには、観客席での応援フラッグや横断幕の禁止と、あまりのファン軽視の姿勢に来場者の怒りは爆発した。
|